夕飯の支度をしていたとき、ふと耳に飛び込んできた娘の一言。
「うざい」「だるい」…ここまでは最近よくあるやり取りになっていたけれど、その日はさらに続きがあって、「だまれ」そして極めつけに「しね」。
胸がズキンと痛み、思わず手が止まりました。
思春期の娘と暮らしていると、こんな言葉を投げられることが増えてきた…という方も少なくないかもしれません。

ショックを受けた“し〇”という一言
あの日も、ほんの小さなことで口論になりました。
「早く片づけなさい」と私が言った瞬間、娘の口から飛び出したのは「うざい」「だるい」。
一瞬、胸の奥に冷たいものが走りました。
さらに追い打ちのように、「だまれ」…そして極めつけは「〇ね」。
頭が真っ白になりました。
言葉が出ないまま、その場に立ち尽くす私。
親としてショックで、情けなくて、悲しくて…心の奥がずしんと重くなる感覚でした。
「どうしてこんな言葉が出るようになったの?」
「私の何がいけなかったの?」
そんな問いが、心の中でぐるぐる回ります。
けれど、数分後には娘は何事もなかったかのように「ねぇ、明日さ〜」と別の話をしてきます。
そのケロッとした様子に、拍子抜けする反面、「この言葉、本人にはそれほど重くないのかもしれない」とも感じました。
後で耳にしたのは、娘と友達の会話の中でも「死ね」「だるい」はまるで挨拶のように交わされているということ。
もしかしたら、娘にとっては日常の言葉の一部で、深い悪意があるわけではないのかもしれません。
でも、親としてはやっぱり聞き流せないし、心が傷つくのも事実。
私はその狭間で揺れていました。
怒って注意するべきか、それともスルーして流すべきか。
「でも、放っておいたらもっとエスカレートするかもしれない…」
そんな不安と、「少しは軽く受け止めたほうがいいのかも」という迷いが、日々交互にやってきます。
反応しすぎない“スルー力”も少しずつ練習
最初の頃は、暴言を聞くたびに反射的に「そんなこと言わないで!」と強い口調で返していました。
でも、そのたびに娘の表情は硬くなり、目をそらし、さらにきつい言葉で返してくる…。
まるで言葉のキャッチボールではなく、言葉のぶつけ合いになっているようでした。
そこで、一度立ち止まることにしました。
「このやり方では、たぶんお互いに傷つくだけだ」
そう思ったからです。
試したのは、すぐに反応しないこと。
暴言が出た瞬間は、心の中で深呼吸をして、一拍置く。
すぐに「やめなさい」と言わず、「今の言葉は私は悲しくなるな」と、自分の気持ちだけを短く伝えるようにしました。
また、落ち着いているタイミングを見つけて、「あのときの言葉は私にはきつく感じたよ」とだけ話すようにしました。
理由や説教を長々と話すのはやめて、「短く・静かに・一度だけ」を意識しました。
もちろん、毎回うまくいくわけではありません。
「はいはい、わかりました〜」と軽く流されて終わる日もあれば、逆にまた反抗的な言葉が返ってくる日もあります。
それでも、以前よりは私の感情が爆発しにくくなり、冷静さを保てるようになったのは大きな変化でした。
もうひとつ意識したのは、暴言以外のときにできるだけ普通の会話を挟むこと。
「おやつ食べる?」とか、「今日こんなニュースあったよ」とか、短くてもいいから、言葉を“暴言以外”のやり取りで埋める。
そうやって、少しでも日常の会話の土台を残すようにしました。
あの頃より、ほんの少しだけ穏やかに過ごせる時間が増えた気がします。
とはいえ、暴言がなくなったわけでも、関係が劇的に変わったわけでもありません。
今のやり方が正しいのかどうか、まだ答えは出ていません。
「わかろうとする姿勢」なんて、自己満足かもしれない…と迷うこともありますが、
それが少しでも娘の心に届くのなら、続けてみたいと思います。
すぐに答えは見つからなくても、関係がうまくいかない日が続いても、
“理解しようとする気持ち”だけは手放さずにいたい。
きっとそれは、見えないところでちゃんと伝わっていると信じています。
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